アメリカ留学体験記(4/5)
4.念願のアメリカの大学へ学部入学
いざ、授業が始まってみると、パニックになってしまったんです。
例えば、心理学。 そこそこ、リスニングも聞けるかなって思い始めてきた頃だというのに、教授の言っていることは学術用語、専門用語の嵐で、それこそ文字通り「no idea at all(全然わかりましぇ~ん)」でしたね。
それから、英文学の授業。 これも、シェークスピアとかの古典英文学を中心に授業が展開していき、現代英語もままならぬ私にはもう完全お手上げの状態。 時には教授が私を指名したことすらも気づかなかったりして、クラスの失笑を買っていたのを覚えています。
それから変わったところで、ドラマ(演劇)のクラス。 これは女の子が多いんで楽しいという噂を信じて履修してみたんですが、だまされました。 確かに女の子は多いんだけど、いかんせん、授業が実践的すぎました。 週代わりで、演技監督とかセリフ書きとかを交代制で担当しなくてはならず、当たり前のことかもしれませんが、どの役回りも目一杯「発言」が求められるものばかり。
しかも、誰も私が日本人だからといって手加減などしてくれませんしね。これには、心底参りました。
事故以来、多少見こみが出てきたかなとうぬぼれていたスピーキング力が、いかにまだまだ全然駄目であるかということを骨身にしみてわからせてくれましたね。 それで、結局、履修科目を4教科ほどドロップ(放棄)してしまったんですね。
毎日があまりのストレスで、おおげさじゃなく、頭髪が真っ白になってきたくらいですから。
なんとかかんとか、1学期を終え、夏休みに入る頃に、両親から電話があり、「いいかげん進路のことを真剣に考える頃だ」と言われ、大学院にでも入学できるのなら話は別だが、後、何年かかって卒業できるか見通しの立たない今の留学生活は、その年いっぱいで切り上げるべきだと諭されたんですね。 確かに私ももう27歳になろうとしていましたね。 日本の景気もバブルが崩壊し、かなり悪化し始めていた頃でしたし。 そこで、私は、イチかバチかの覚悟で、学校の夏季授業は放棄して、大学院入学のため、図書館にこもり猛勉強を開始することにしたのです。
目標はTOEFLで大学院の要求する最低ラインの600点を取ること。 また、大学院入学にはTOEFLの他にGMATという英語と数学の試験も受けなくてはいけないのですが、そちらはTOEFLに比べれば簡単らしいのでTOEFLを取ってから準備する予定でした。
留学2年目の6月だったと思います。自分としては、9月に受験するTOEFLで目標点を取り、11月の大学院の申込みの締め切りまでに間に合わせるという計画を立てました。 しかし、600点というのは、当時の私には、相当な上達がないと到達できない、かなり不可能に近い得点だったんですね。
まさに「背水の陣」の覚悟で臨むほかありません。
そして、それが駄目だったら、その年限りで帰国すると決めたんですね。 さて、結果はどうだったかと言うと・・・・・・・